東日本大震災から10年④ 原発事故で避難した組合員の証言|東日本旅客鉄道労働組合 水戸地方本部
東日本大震災から10年④ 原発事故で避難した組合員の証言
東日本大震災から10年④
原発事故で避難した組合員の証言
当時の教訓を、JR東労組再建の取り組みにいかそう!
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東日本大震災では福島第一原発が爆発し、放射性物質が拡散。多くの方が避難を余儀なくされました。
今回は、避難から10年を経た現在も避難先で暮らす、いわき支部組合員(当時)の経験を掲載します。
―震災発生時の状況を教えてください。
震災発生時、私は公用車で巡回中でした。職場に戻り、駅間に停車した列車の乗客誘導等に追われました。
津波の情報も入り始めました。沿岸部に住む組合員の家族が避難所に命からがら逃げてきたとのことで、勤務途中で避難所へ向かうという状況でした。安否確認ができない仲間がいて、さらに列車が被災したという情報も入り、とても心配でした。安否確認ができなかった仲間は津波で亡くなったと、後日職場を訪れたご家族から聞きしました。本当に残念でなりません。
当日は日勤でしたが、23時頃まで勤務し、自分の家族の安否確認がとれたのも深夜になりました。
―原発事故による避難の状況を教えてください。
震災翌日から原発事故でバタバタしはじめました。同僚にばったり会い、これから避難すると言っていました。彼とはその後2ヶ月間、会うことができませんでした。
親戚から「原発事故が起きればヨウ素剤が配布される」と聞き、福島市の病院まで行きました。しかし「指示がなければ配布できない」と断られました。その日は福島市の避難所に泊まり、翌日帰宅しました。
帰宅後、私の住む地域にも避難指示が出されました。説明会が開かれましたが、避難先のあてのない人は集合日時、場所だけ指定され、どこに避難するかも分からない状況でした。
親族の避難先を自力で確保したのち、私の避難先も確保することができ、3月20日に避難しました。
―会社の対応はいかがでしたか?
職場に行ってみましたが、鍵がかかり、閉鎖されていました。避難対応は自分でやりました。避難後は自宅待機でしたが、会社からは電話連絡がくるだけでした。
―当時のJR東労組水戸地本の対応はいかがでしたか?
当時はJR東労組に頼るということは思いつかず、水戸地本が避難所も開設したということでしたが、私は知りませんでした。
当時の情報は私に届きませんでした。地本は運車職場主体の運営になっていたと思います。
―東日本大震災の経験から得た教訓をお聞かせください。
何よりも情報共有が大切です。混乱しているときこそ、組織全体に情報発信する努力をすべきです。労働組合でも会社でも、職種ごとに情報に偏りがあるなどということは言語道断だと思います。
現在の水戸地本は情報発信の努力をしてくれています。私も、大震災の教訓を思い出し、正確な情報を仲間に伝える努力を惜しまず、JR東労組水戸地本再建に向けて、協力していきたいと思います。
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